伊藤新田 (塩田) 跡・谷津遊園跡 is a historic and protected site Narashino located in Japan.
谷津3-1 Narashino , Chiba 275-0026 Japan
明治の中頃から大正時代はじめの間に製塩のための塩田があった。津田沼村 の初代村長だった伊藤彌一氏が中心となり開発した。この塩田は入浜式 塩田という種類。堤防を築いて外部の海と区切り堤防内に海水を取り入れて砂浜 に散布し天日によって水分を蒸発させて濃縮しさらに釜に入れて煮詰めるという製塩方法であった。この方式は行徳から谷津にかけての海岸 で盛んに行われていました。
大正14年、京成電気軌道株式会社(現京成電鉄株式会社)がこの地を買収し、谷津海岸 遊園(のち谷津遊園)を開設。昭和57年12月に閉園するまで東京近郊でも有数の遊園地 として多くの人々に親しまれた。また、この地には一時期、無声映画 時代の阪妻撮影所やブロ野球 の読売巨人軍の最初のグラウンドがあり、アメリカ大リーグとの最初の日米 親善野球 の行われた場所としても知られている。
塩田はかつて行徳から谷津にかけての海岸 で盛んに行われた。しかし明治44年の暴風雨によって生産不能となりさらに大正6年大暴風雨と高潮に襲われ復興不可能となり閉鎖され大正14年京成電気軌道株式会社(現京成電鉄株式会社)がこの地を買収し、谷津海岸 遊園(のち谷津遊園)を開設した。
谷津公園 のはじに碑が立っている。岩塩の少ない日本では入浜式 がメイン だったからこの辺りは盛んだった模様。今では海岸 線からずいぶんと遠ざかってしまっているけど。
1959(昭和34)年当時の谷津遊園の新聞広告とのことです。
近くの豊津ホールで受付をして入ります。入口近くから冷気に包まれ地下壕の中は湿気が高いが気温が低く寒いくらいです。夏場はちょうど良いですよ!ツルハシの爪痕が残り手掘りで掘り進んだことがわかります。 - TT _Taka